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【うさぎの自由帳】コロナ禍での多大なる幸福の話

 あまり大きな声では言いにくいが、コロナ禍になって幸せが増してしまった。

新型コロナによりお亡くなりになってしまった方も大勢いらっしゃるし、大切な方を亡くして悲しみにくれておられる方々も多くいらっしゃることを思うと、「コロナになって良かったことも沢山ある!」などと人前で言うことはかなり憚られるのだけれど、実際、私個人で言えば正直、幸せが爆増してしまった。勿論、大変なこともたくさんあるけれども…。

 新型コロナが流行り始めた頃は正直大変だった。3月はトイレットペーパーの買い置きがなくなっているというのにどこに行っても買えなくて、もう少しで用を足した後はお風呂場で洗い流して対処するしかないか…と意を決しているところだった。4月は生まれてきて初めて「緊急事態宣言」という大変急を要するらしい宣言を聞いた。その宣言が出たらスーパーが激混みになるから事前に色々と買っておいた方がいいとの助言をYouTubeで耳にし、トイレットペーパーの二の舞を踏むと嫌だったので買いだめに走るのは愚かもののようで嫌であったがしっかりと買いだめに出掛けた。5月はどこにも行かないゴールデンウィークを奨励されるというこれまた人生初の奨励の言葉をなんと国から聞き、何年も何年もまともに旅行など行けていないのに、「行くな」と言われると急に予定もしていなかったくせに、非常に息苦しい、本当に耐えきれるのだろうか…という悲壮な思いに捉われた。結果的には、普及しかけてきたZoomの集まりに参加してみたり、グループラインでどのように「会わずに友人達と楽しくゲームが出来るか?」などを考えたりしていたら、例年以上に忙しく、充実したゴールデンウィークとなった。

 5月はパートも臨時休業となってしまった。こどもを相手にする仕事であった為、こども達にコロナが感染したらまずいからと学校が休校になるのに合わせて、パートの仕事まで鶴の一声で先の見通しもつかないままに業務停止になってしまった。学校の先生は臨時休校になってもお給料が出るから構わないだろうが、私は時給で頂いている「働いてなんぼ」の立場だったので非常に参った。先の見通しが立たないとはこんなにも人の気持ちを不安にさせるものなのか、と知った。私はまだ「店舗」などをもたない雇われの身だから「身入り」がないことを嘆いていればいいが、自分の「店舗」などを持っている飲食店はじめ様々なお店のオーナーさんは本当に大変だろうなぁ~と心の底から気の毒に思った。日々過ごしているだけで黙って「家賃や光熱費などの固定支出」が出ていくのに「身入り」はない日々の恐怖を思った。

 5月、パートもないので私はよく一人で散歩に出掛けるようになった。食料品の買い物がてら、ふらふらと行先も決めず、風の吹くまま気の向くまま、何時間も歩いた。大袈裟に書いているのではない。文字通り何時間も歩いた。平均して4、5時間は歩いていた。昔から歩くのは好きなのだ。悩み事があると、よく歩いた。中学生の頃は、父とよく歩いた。歩いて歩いて歩いて、父に私は悩みを話した。父はあまり口を挟まずよく聞いてくれる人であったが、あまり気の利いたことを言ってくれる人ではなかった。それでも、私は父と散歩する時間が好きだった。大人になった今、隣を歩く父はいないけれども、私は相変わらずてくてくと歩き回った。

 コロナ禍で悲しくて、友達にも会えず寂しくて、下を向いていたら綺麗な花が咲いていた。綺麗だなぁ~とその感動を友達と分け合いたくて、その場では分け合えないので写真に撮ってラインで送った。「綺麗な花が咲いていたよ」と一言添えて。すると、友人から「とっても綺麗だね!」と返事が返ってきた。嬉しかった。なんだかちょっと光が差し込んだように感じた。私は友人に送るべく、他にも綺麗な花が咲いていないか、周りをキョロキョロと見渡し咲いている花を探して歩くようになった。時は5月、花の季節、ツツジをはじめ、色とりどりの花が気を付けて見ていると道路の花壇や人様の家の庭先に植えられて咲いていた。私は夢中でシャッターを切り、よく撮れると友人にラインで送り、「綺麗だね♡」と共感を共に出来ることを楽しんだ。次第に気持ちが明るくなっていった。緊急事態宣言中でコロナ禍である状況は1ミリも変わっていないというのに…

 6月末、横浜で「横浜こどもホスピスプロジェクト」の勉強会がリアルとZoomの形と2種類、選べる形で開かれた。私は会場に直接参加するリアルの方を選択して申し込んだ。4月20日のZoomでの「きょうだい」のイベント(全国のみんなで米津玄師さんの『パプリカ』を踊りながら歌った)以降、Zoomで毎週、NPO法人のしぶたねにいる清田悠代さん(通称たねちゃん)とシブレンジャーのレッドと顔を合わせて話すようになった。しかし、リアルに顔を合わせたことはなかった。彼らは大阪に住んでいる為、そう簡単に会うことは出来ないのだ。この機会を逃したら、いつまたリアルで会えるか分からない!と判断し、正直なところ、最初はこどもホスピスの勉強がしたいというよりは、たねちゃんとレッドと会いたい!という思いの方が強いまま出掛けた。

 日本丸の付近の会議場でその「横浜こどもホスピスプロジェクト」の勉強会は開催されたが、いつものごとく道に、、、というか、最後の最後、会場の場所に迷い、もう少しで停泊させてある観光用の「日本丸」に入場料を払って乗り込みそうになりながらも、なんとか無事、勉強会場に辿り着けた。

 トップバッターの講演者は、旭川短期大学幼児教育学科教授の佐藤貴虎先生であった。手元には資料として、その日に講演される講師の方々のお名前と顔写真の一覧が印刷されて手元に配られていたが、そこに映っている顔写真と今、目の前の壇上にいる佐藤先生ご本人とはどう贔屓目に見ても同一人物とは思えない。歳が少なく見積もっても10から下手すると20くらいの開きが感じられた。私は別にお見合いに来た訳ではなかったけれど、お見合いで事前に渡された写真と、実際にお見合いで会った時にギャップがあり過ぎた時のショックはこのようなものではなかろうか…と独り言ちていた。

 「生徒から、『先生!この写真は詐欺ですよ、詐欺!』って言われるんですぅ~!」と貴虎先生は楽しそうに、悪びれもせず壇上から仰った。やっぱりだ。どうやらもう既に旭川短期大学の学生さん達からも批判を浴びていた案件だったらしい…。

 「だから、僕、もうこうなったら僕が3歳の時の写真を使おうかと思って!ほら、見て下さい。これが僕の3歳の時の写真」そう言って、後ろのプロジェクターに非常に可愛らしい男の子の写真が映し出された。私は時の流れの無常さ、非情さに思いを馳せた。こんなに可愛らしく愛らしい少年が、数十年後にはこのような姿になってしまうとは、神様はどうしてこう意地悪なご計画をなさっていることなのだろう…と。

本文では直接触れておりませんが、赤花クラウンで有名な福島先生の講義です。
背景の詩がステキなのです。

 さらに貴虎先生のおふざけ(?!)は続いた。予め私たち参加者の机の上には北海道のクッキーが一枚ずつ置かれていたが、「さぁ、今、是非お召し上がり下さい!」と貴虎先生は言う。ははん、これは食べると何か仕掛けがあるな…と気が付きつつも、生徒の立場のこちらは断る術を持たず、素直に口にせざるを得ない。たった一枚しか貰えないクッキーを我々が食べ終わると、これまた貴虎先生はキャッキャッと嬉しそうにお笑いになってはしゃぎながら、「みなさ~ん、食べましたね!実はこのクッキーには魔法がかけてありまして、それは北海道に来たくなるというもので~す!」と言った。それは魔法というよりも、呪いなのでは…?と内心つっこみを入れていたが、恐れ多いので生徒の私は口に出して言ったりはしなかった。

 貴虎先生の話口調はゆっくりで聞き取りやすく、優しく楽し気であったが、予め配られている講義のレジュメを見ながら聞いていると不安になってくる内容であった。何故なら、講義の時間はどんどん過ぎていっているというのに、渡されたレジュメの半分もまだ話が終わっていないのである。これは貴虎先生の持ち時間内に講義は終了しないのではないか…

?と不安が頭をよぎったが、まさかまさかのその通りになった。

 しかしながら、貴虎先生はひるまなかった。悪びれもせずに、「あら全然終わらなかったですね~!次からの先生は、私の分まできっちりとやって下さるでしょうから大丈夫ですぅ~!!」と仰って、次の登壇者である多田羅先生にバトンタッチされた。

 二番バッターである小児外科医の多田羅竜平先生のお話が始まるや、貴虎先生の時とは打って変わって車で行ったらスピードはトップギアに入れられたごとくになった。とにかく説明が早い。さっきまでが超絶ゆっくり、幼稚園や保育園のこども達に話しかけるがごとくのスピードと口調だったのに対し、もう高速道路をぶっちぎりで飛ばしているような速さとなり、あまりの速さに車の座席の背面に体が重力で押し付けられて身動きが取れなくなってしまっている助手席に乗っているかのような講義であった。畳かけるように次々と医療における問題提起をされながら、時折、ニコリともしないまま多田羅先生は冗談を挟まれた。多田羅先生が冗談を言われても、会場の誰一人、気迫に押されてか、クスリとも笑わなかった。

 「みなさんの中で、友達を2万円で買ったとかいう人はいますか?いませんね?いいですか?!友情というのはお金では買えない、プライスレスなものなのです。」

 そして何度か上質な冗談をはさまれておられたにも関わらず、最初から最後まで誰一人笑わないまま、静寂のうちに多田羅先生の講義は終わった。一分も余らせることも、足りなくすることもなく、配られていたレジュメに書かれている内容を最初から最後まで余すことなく、時間ピッタリに終えられた。まるで外科手術とはこのように行われるものか…と手術の段取りとパーフェクトさを彷彿とさせ、すごいなぁ~と称賛の眼差しを送った。先ほどの貴虎先生とは大違いだ。貴虎先生が「僕の分までしっかりとやってくれることでしょう~!」とにっこり笑っていただけのことはあった。

 そんな調子で、一人の先生の持ち時間50分、休憩10分を挟みながら、次々と色々なテーマの切り口で、大勢のその道のスペシャリストの先生方から講義を受けさせて頂くことが出来た。とても贅沢な講師陣、そして感動的な内容の講義の連続であった。

 大阪から駆けつけてくるしぶたねの清田さんとレッドは、講座の途中から来場する旨、清田さんから事前にメールのやりとりで把握していた。講義の途中でそっと会場に入ってきた二人組がいて、私は彼らが清田さんとレッドであることを確信した。次の少し長い休憩時間に声をかけに行ってみよう…。

 Zoomでレッドやたねちゃんと会う時は、いつも私は兎の姿のまま会っている。「横浜こどもホスピスプロジェクト」の講義を受けるにあたっては、私は人間の姿に化けていた。人間の姿では彼らは分からないだろうから、彼らと初対面する時にはうさぎの姿に戻らなければならない。しかし、今、周りに沢山の人間どもがいる為、下手にうさぎの姿に戻ると大騒ぎになってしまう可能性だってある。

 私はどうしたものかと少し長い休憩が挟まった時、会場の後ろの席に座り直し、たねちゃんとレッドをジッと観察していた。そして、思い切ってうさぎの姿に戻ると、二人のもとに近寄っていった。

「たねちゃん、レッド!うさぴょんで~す」

 それから私は事前に清田さんに教えてもらっていた通り、先生方と名刺交換を行い、写真を一緒に取らせて頂いたり、と人脈の構築にいそしんだ。名刺は、正式なところで依頼する時間が取れなかった為、前日に100均で購入したカードに手書きの名前を書いて渡していた。が、優しい先生ばかりだった為、どなたも馬鹿にすることも笑うこともなく、にっこりと穏やかに受け取って下さった。

 私は会場外に置かれた先生方の本の中から2番目の登壇者であった多田羅先生のご著書『子どもたちの笑顔を支える 小児緩和ケア』という株式会社金芳堂さんから出版されている3600円もする本を思い切って買った。他にも興味深い本は色々と置いてあったが、この本が一番、一旦帰宅してこの講座を受けている最中のアドレナリンが出て興奮している状態でなくなってしまったら、まず買わないであろう本だと思ったからである。そして本を買うと私はレッドとたねちゃんの前の席に座って談笑されている多田羅先生の所へ行き、本にサインをして欲しい旨、依頼した。(たねちゃんからコロナ前の講習会では講師の先生方と写真を撮ったり、色紙にサインをもらったりとしていたのよ、と聞いていたからである。)多田羅先生は少し戸惑ったような、はにかんだような動揺を見せた後、サインを書くペンを探されているご様子だったので、私は予め持ってきてあった「サインをしてもらうようの黒マジック」を先生にサッと差し出した。先生は「感謝」と一言書いて下さり、私はその文字を見つめながら、これは感謝をしろ!という意味なんだろうか?感謝します!という意味なんだろうか?それとも・・・と考えてしまっていた為、その後、先生が何を書かれておられるかほとんど見てはいなかった。まぁ、後は日付と名前を書くだけなのであるから大して面白みもないというものだ。

 勉強会から自宅に帰ってくると、私は早速買ってきた多田羅先生の本を取り出し、そしてサインを眺めた。すると衝撃的な事実に気が付いてしまった。私の記憶が正しければ、今年は2020年なのであるが、多田羅先生が書いて下さったサインの日付は2012年となっていた。私は目がテンになった。3600円も出して買った本に間違えた日付を書かれたのである。これは先生に言って、もう一度書き直して頂く案件ではなかろうか?と…

 しかし、再度、考え直した。この本の初版は2016年12月1日なのである。サインの日付が出版されるより前の月日になっているだなんて、そんなプレミアムなサインは滅多に手に入らないであろう!これは話のネタに格好な貴重なお宝サインに違いない!と。

 そして、同時にあれほどまでに寸分の狂いなく1分のずれもなく、完璧に思える講義をなさった先生の記憶力の低下を心配した。もうお疲れになり過ぎて、今が2020年であることすらお分かりにならなくなってしまっているのだわ!と…

 そして明けて7月、7月4日にSibling Cosmopolitanという「きょうだい児」の為の世界に羽ばたいていく予定の会を一人きりで設立させ、その日の晩にたねちゃんレッド主催の「第一回 きょうだいゆるゆる会議」で会を設立させた旨を発表させて頂き、そしてそれからさらにさらに新しい沢山の出会いと、多くの喜びを得ていくことになっていったが、それを書き留めておくのはまた明日以降にしようと思う…。

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