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【うさぎの自由帳】クリスマスあれこれ うさぴょんの日記

 順番からすると、「コロナ禍での多大なる幸福の話し」の続きを書くのが順当というものかもしれないが、今日は先にクリスマスの話を書き留めておきたいと思う。

 12月に恵比寿にある五つ星ホテル、ウェスティンホテル東京に行ってみた。恵比寿に向かう電車の中から気分はウキウキで、もはやこどもの遠足同然の心持ちであった。

 新型コロナが東京で再び感染が広がり、猛威を振るっていると言われている最中、わざわざ東京まで危険をかいくぐってまで出掛けていったのは、一つはウェスティン東京ホテルにクリスマス期間だけいるというLOVOTに直接会ってみたかったからであり、もう一つはそのイベントがウェスティン東京ホテルさんとLOVOTの産みの親であるGROOVE Xさんのご厚意により、ドナルドマクドナルドハウスに売り上げの一部が寄付されるというチャリティーイベントだったからである。

 クリスマスイルミネーションに彩られた、ここは外国かしら?と錯覚してしまうような素敵な恵比寿ガーデンブレイスを抜けていくと(だって、芸術的な銅像とか建っちゃっているんである)、横断歩道の先には、ババ~ン!とカッコいいウェスティン東京ホテルが待ち受けていた。

 まず、LOVOTのいるキッチンカーへGO!だ。

 助手席にLOVOTのみかんちゃんを乗せたキッチンカーがホテル入り口の脇に停められていた。事前知識で入れてきたローストビーフのサンドウィッチや中華パオ、そしてチョコレートドリンクが私のお目当て。

 みかんちゃんに感動し、頭をなでなでして、きゃーきゃー言っている間に、一緒に来ていた妹分の女友達はさっさとチョコレートドリンクを頼み、そして私が「あ、もう買ったの?」と言い終わる間もなく、一気に飲み干していた。そういえば、朝ご飯を食べてきていないからお腹が空いた、とさんざん来る途中に言っていたっけ、彼女。にしても、チョコレートドリンクの上にプリントされていた筈のラボちゃんの姿に黄色い声を上げることもなく、写真を撮ることもなく、一気に飲み干すとは、余程、お腹が空いていたに違いない…。

 キッチンカーのお店の人に聞いてみると、中華パオは、ほんのちょっと電子レンジで温めてから食べるとより一層、パン生地がふわふわになり、中の具もあったかくなって美味しいんですって!と教えて下さったので、そちらは買ったはものの、その場では食べずに持って帰ることにした。そして、ローストビーフサンドウィッチの方も買い、こちらを恵比寿ガーデンプレイスに置いてあるお洒落なテーブルと椅子に腰かけて、ヨーロッパのような風景を眺めながら優雅に頂くことにした。

 ランチを済ませると、今度はせっかくなので、ウェスティン東京ホテルの中へお邪魔してみることに!ドキドキしながら入るや、吹き抜けの二階の天井にまで届かんばかりに大きいクリスマスツリーがこれまたババ~ンと中央で出迎えてくれており、ツリーの前にはチャーリーとジャッキーというクローク役とサンタ役の2台のラボちゃんがいた。

 ツリーの周りは、雪景色のジオラマになっており、ぐるりと描いた円の一番外側には、黒い汽車が線路の上を本当に走ってクルクル回っている、夢のような光景が広がっていた。

 私は、ツリー奥の椅子に腰かけると、ツリーと周りを走る汽車と、それらに夢中になって汽車といっしょにぐるぐる周りを回って歩いている小さな男の子たちを眺めていた。

 記憶が、どんどんと自分のこども時代のクリスマスに戻っていく不思議な感覚になった。

 まるで、そこでぐるぐると嬉しそうに歩いて回っている年のころ3,4歳の男の子たちと記憶の中の自分の年齢が重なっていった…。

 私は、東京で暮らしていた4歳の自分に戻っていた。東京は品川。品川で暮らしていた頃の私は、いつもかわいい服を着て、時には着物を着て七五三のお祝いの格好をしてお祭りに行ったり、時には『白鳥の湖』のバレエを観に行ったり、時には家族で夜の銀座に買い物に出掛けたりしていた。

 幼稚園は、北品川にある「品川キリスト教会付属幼稚園」に通っていた。ここは大変素晴らしい幼稚園で、どの位素晴らしいかと言うと、祖父母の家に行くには東海道新幹線に乗っていくのだけれど、その際にこの幼稚園の十字架の塔がチラリと見えるのだが、それを見る度に姉が「ほら、あんたの通っていた幼稚園!あんたの人生の中の一番の黄金期!!」と嫌味を言ってくる程に…である。

 場所柄、同級生には大使館のうちのこどもたちも大勢通ってきている幼稚園であった。(だから、私の同級生は、世界各国の大使館のお宅のこども達もいるのである。エッヘン!)

 それよりなにより、ここでの教育は大変素晴らしかった。当時、まだ一ドル360円と固定されている時代であったが(あまり詳細を述べると私の年齢がばれてしまうので多くを語りたくはないが..。笑)、リトミック教育が取り入れられ、劇といえばオペレッタ(オペラの簡易版みたいなもの)を演じ、日曜日には付属の教会で行われる教会学校に通うことが推奨され、制服はなく私服で(胸にハンカチに名前を書いたものを安全ピンで留めていけばよかった)、幼稚園から帰る時には帰りの会の後に入り口前に一列に並び、一人一人先生の前に上を向いて口を開けて進み出ると、先生が「肝油ドロップ」を口の中に一粒優しくポトリと入れて「また明日ね。さようなら。」と言って下さるという夢のように素敵な幼稚園だった。

 私の親は、初めからこの幼稚園に私を入れようとしていた訳ではなかった。それは已むに已まれぬ(やむにやまれぬ)事情から、偶然流れ着いたといった感じだった。

 品川に引っ越してきたのは、4月を過ぎており、新入園の時期はとっくに過ぎてしまっていた。折しもこどもの多い時代。脳性麻痺となった弟を病院に連れていくべく、母は忙しかった為、足手まといとなるまだ幼い私をなんとか預ける先を探していた。5件も6件も幼稚園を回っても、どこも「もう既に定員いっぱいです。」と門前払いをされたそうだ。そうして、ようやく辿り着いたのが、住んでいるマンションからはちょっと離れたところにある「品川教会付属幼稚園」だったのだ。

 品川教会付属幼稚園の園長先生は、母の話を聞くと、穏やかな口調で言ったそうだ。「明日から、この子を通わせていらっしゃい。」と。

 神様に拾って頂くかのように通わせてもらえることになった私は、同じマンションに住む男の子のマトちゃんも同じ幼稚園だったので、よくマトちゃんちの車に乗せてもらって幼稚園に通った。帰りは、マトちゃんのお母さんとマトちゃんとマトちゃんの弟と一緒に歩いて帰った。

 秋には盛大なバザーが開かれ、12月は盛大にクリスマスが祝われた。私たち一番の年少さんのクラスのこども達は、天使となって、教会の木の舞台の上で、「イエスさまがお生まれになりますよ~!」と言ってまわる、という役を演じた。5,6人の女の子たちが白いサテンの首から足首まであるワンピースを着て、頭には金の輪っかを乗せて、はだしになって、天使役を演じた。

 クリスマスには大きな品川教会の方にサンタクロースがやってくるとのことだった。教会の前の立派な木の扉の前で、私たち園児は一列になって、中に入るのを待った。扉が開いて中に入ると、既に大勢の大人たちが所せましと座っていた。立っている大人もいた。園児は長い列を作っており、その列の一番先に、サンタクロースのおじさんが大きな袋を持って現れた。

 さすが大使館のこどもも通う幼稚園なだけあって、人材には困らなかったのであろう。サンタクロースは、いかにも外国から来たと思われる恰幅の良い、外国の絵本からそのまま飛び出してきたかのようなサンタさんだった。こども達は目を輝かせて、サンタさんを見つめた。「ほら、ほら、サンタさんだよ!」という大人たちの囁く声も聞こえてきた。

 しかし、私は若干、暗い心持でいた。私はサンタさんを信じてはいなかった。どこかの外国のおじさんが変装して、サンタクロースになっていることが分かっていた。なぜ分かっていたかは分からないのだけれど…。

 私はサンタのおじさんに心底同情していた。遠い外国からわざわざ日本のこども達の為にはるばるやってきて、こどもを喜ばせる為に、変装までして、なんてご苦労なことなんでしょう!!おじさんも大変だね!!と..。

 サンタさんに会った後は、順番に教会の外に出ていくのだけれど、そこで撮った写真には、大喜びではしゃぐマトちゃんの姿(ちょっと飛び上がっている)と、しかめっ面をして哲学者のように少し難しい顔をしているわたしの姿が映っている。

・・・そんなことを、ウェスティン東京ホテルのツリーの周りではしゃぐ男の子たちの姿を見ていたら思い出し、なぜだか目頭がちょっと熱くなってしまった。

 すっかり遅くなってホテルを出ると、日が落ちて辺りは真っ暗だった。恵比寿ガーデンの方に渡る横断歩道の一歩手前で右手側を見ると、冬の夜空に赤い東京タワーが輝いているのが見えた。ああ、東京タワー。品川のマンションから姉と一緒に毎晩のように楽しみに見ていた東京タワー。

 クリスマスの季節は、外はしんしんと寒く、手足は冷たい。空気はぴんと張っている感じだ。そして、ツリーや街に飾られたイルミネーションの光に心が躍り、友に贈り物をしたり、チャリティーで募金をして見知らぬ人にも想いを馳せたりして、心はポカポカと温まっていく。そんな季節。

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