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【うさぎの自由帳】SDGsゴミ問題 「未来完了空想日記」(旧:未来完了妄想日記)

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 日記を書こうと思うが、日記の名前は「未来完了妄想日記」はやめて代わりに「未来完了空想日記」にしようと思う。まぁもともと、妄想という言葉はややネガティブな印象を感じており、あまり好印象ではなかったが、それを逆手にとって多少ふざけてネーミングしていたところはある。しかし、この妄想という言葉が気になって調べてみたりしたところ、もともとは医学用語で、その定義としては「現実にないことを思い込んで修正不能」という点があるらしいことが分かった。これだ!これがなんだかこの言葉にネガティブな印象を感じていた所以だ。最近は、どうも「妄想」という言葉を、想像やら空想やらとほぼ同義語に捉えている人が多く散見されるが、やはりこの単語のもつ本来の病気としてのネガティブな意味合いをきちんと理解して、誤解を広めない為にも、ふざけて言葉を使用しないでおこうと反省したのだ。

 というワケで、妄想改め空想、「未来完了空想日記」はじまり、はじまり。


目次

SDGsとは

SDGsとやらが2021年のゴールデンウィークになってテレビやらなんやらで急に騒がれるようになっている。TBSは「地球を笑顔にするWEEK」などと名打って4/26~5/5まで木村佳乃さんやバナナマン、安住アナウンサーや山之内すずちゃんといった「なんかやたらに好感度の高い人たち」を集めてきてキャンペーン大使だ~なんて言って地球を笑わそうと躍起になっている。もう長年、人間は地球を虐めてきたので、ちょっとご機嫌をとった位では笑う筈もなく、このゴールデンウィーク中も午後になるとは短時間突然雨が降り出すなど、昔には見られなかった「地球のむずかり」が見られる。

 SDGs(エス・ディー・ジーズ)ってそもそも一体なによ?!って話しだが、SDGs=「Sustinable Development Goals」日本語で言うと「持続可能な開発目標」で5年前の2016年にはスタートしていた国際的な取り組みのことだ。とりあえずゴールは2030年に設定されており、あと残り10年というワケで、現時点での国際順位が非常に低い日本はやや焦っているのだろう。

 2015年9月国連サミットで採択され、目標は大きく17掲げられており、明るい色調の色(ピンクやオレンジや水色)でそれぞれの目標が彩られている。色々な目標が細かく分かれているが、ごく大雑把に言うと、「地球を汚さないでさぁ~、食べ物とか資源とか無駄遣いしないで大事にしてね、それからみんなが平等に生きていけるようにしようぜぇ~!」という感じだろうか。

 17の目標のうち、7番目の目標「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」12番目「つくる責任 つかう責任」14「海の豊かさを守ろう」15「緑の豊かさも守ろう」というゴミやエネルギー問題には私はちょっとうるさい。

幼稚園からのお手伝い

 幼稚園児の頃から家のお手伝い担当は「ゴミ当番」であった。週三回あるゴミの日の前日の夜になると、まとめて出す大きなゴミ袋をもって各部屋に置かれた小さなゴミ箱のゴミをその中に集めて回り、袋の口を閉じてベランダに出して置き、翌朝、ゴミステーションまで出しに行く、これが私の担当だった。

 ゴミステーションに行くと、時折、タイミング的にゴミ収集車と働くおじさん達と出くわした。ゴミ収集車はゴミを入れる部分にぐるんぐるんと回ってトラックの中にゴミをドンドン飲み込むように入れ込んでいく歯車のようなものがついており、ウィンウィン音を立てながら動いていた。いつもその歯車に挟まれたらどうしよう?!と、恐そうな仕掛けを遠巻きに見ながらも興味を感じていた。

ある朝も私がゴミを持っていくと、ちょうどおじさん達がゴミを回収しており、慌ててゴミを渡しに行くとおじさん達が「いつもゴミを出しに来る子だね!」と話しかけるともなく、話しかけてきてくれた。おじさん達は口々に私のことを話題にし出した。そして、ほがらかそうなおじさんの一人が「君はとってもチャーミングな子だね!」と言って笑った。私はその言葉の意味を知らなかったのだが、一どうやら雰囲気的には褒められたっぽい!やったぁ~!!嬉しい!!と心弾ませていた。そして、家に戻るや、お母さんに「ゴミ収集車のおじさんから『チャーミングだね』って言われた。ねぇ、チャーミングってどういう意味?」と尋ねた。すると、母は一瞬考えた後、「それはねぇ、『美人じゃない!』という意味よ!」と辛辣な言い方で説明してきた。美人じゃない!そんな悪口のような酷いことをおじさんは言っているような感じじゃなかったんだけどなぁ~…と合点がいかないものを感じながらも、一なぁ~んだ、褒められたのかと思ったのに、チャーミングって、そんなにいい意味じゃないんだ!とがっくりと肩を落とした。でも、どこかでゴミ収集車のおじさんのことを信じており、そんなことがきっかけでか、ゴミに対して好意的な印象を抱いていたのだと思う。

ゴミ問題と向き合う

 小学校3年生の夏休みの宿題、「夏の自由研究」では相変わらずゴミ集め当番もしていたことから「ゴミ問題」について取り組むことにし、でかでかと模造紙何枚にもに渡って研究調査した結果を書いて提出した。(当時は自由研究といえば「理科」の分野の色合いが濃く、社会科的要素の強い研究が自由研究として認められるか、少々ドキドキしながら取り組んでいた。結果的には、社会科だからか、学校側からどこかのコンテストに提出されることはなかったが、工作室かどこかの特別教室の後ろの壁に何枚にも渡って貼りだしてくれてあった。内容としては、非常に恥ずかしいことも書いてあったので、やや複雑な心境ではあったのだが…。)

 その研究では、まずは集めたゴミがどのように処理されているのか、辿ってみようと考え、ゴミ焼却場に行って聞き取り調査を行ったり、不燃ごみはどのように処理されいるのか調べたり、自宅で出る一週間のゴミの量を測ってみたりしていた。また、食品を入れているトレーや缶詰めの缶といった、材質の違うゴミの種類をあげてみたりもした。当時はまだ、「資源ごみ」などという概念や分類はなく、「可燃ゴミ」か「不燃ゴミ」かの、要は燃えるか燃えないから埋めるか、の二択の時代だった。

 私はこの「燃えないから埋める」の「不燃ゴミ」の存在が気になって仕方なくなった。不燃ゴミは「夢の島」に運ばれて、どんどんゴミの山を築いているらしかったが、一体、この先、捨てる場所が一杯になってしまったら人類はどうするのだろう?と心配になった。社会科の資料集には「とっても広いゴミ捨て場です」といったように記載されており、いかにも言外に「広いからね、たくさん捨てられるんだよ!」と大丈夫だぁ~てきなことしか書かれていなかったが、小学生の私でさえ、一いやいや、モノには限界というものがありますよ!しかも、かなりもう、うず高く「ゴミ山」が築かれているのに、本当にここが一杯になってしまったらどうするつもりなのかしら!!

と大人たちは一体何を考えいるのだろうか?大人のすることだから、実は大丈夫なんだろうか?と不安と心配の気持ちで資料集の写真を眺めていた。

そもそもゴミを出さないことが重要

 しかし、やはりゴミを減らしていくことが重要だろう!と、どうやったらゴミが削減できるかと考えた。そして、ゴミを捨てるのではなくて、使えそうなものをリサイクルしてみることにした。手始めに、お菓子を食べ終わった後の空き箱で学校に持っていく「筆箱」を作ってみることにした。ちょうどチョコレートの空き箱が出たところで、それはなかなか形として首尾よく簡単に鉛筆やら消しゴムを入れる筆箱となった。恰好よく言うと「リメイク」ってやつだ。次の日、微かにチョコレートの香りのする「チョコレートの空き箱でつくった筆箱」を持って学校に行き、私は大満足だった。ゴミ問題に寄与したような気持になり、胸がワクワクした。ところが、家に戻ってみると、またその日、お菓子を食べ、新しい空き箱が出たことに気付いた。

またそれで筆箱を作ることは出来たが、そうすると、昨日作ったばかりの「チョコレート空き箱の筆箱」は不要となり、早くもゴミ箱行きとなってしまう。遅まきながら、そのことに気付いた時、(お菓子の空き箱はかなりの頻度で出てくるのに対し、筆箱は一つあれば十分ということに!)私の名案に思えていた「ゴミ問題解決プラン」は早くも崩れ去った。がっかりして、喜んで使っていた「チョコレートの空き箱の筆箱」もさっさとゴミ箱に捨ててしまった。

小学3年生の私には、それ以上どうしたら、この「なんとかしなければヤバイことになる」と思われるゴミ問題の解決方法が思いつかず、それ以降はどこか問題を見て見ぬふり、思考を停止させて日々をやり過ごすようになった。そして、みんなもこのように思考を停止させて見て見ぬふりをして生きているのかなぁ~、、、それが大人になるということなのかなぁ~、、、などとぼんやり考えたりしていた。

祖父の取り組み

 そんな私の祖父はリサイクルではなく、ただひたすらゴミを拾って地球をきれいにしていた。毎朝、散歩に行く際、町のゴミもついでに拾い集めていたのだ。遠く離れた土地に住む祖父なので、私自身はその祖父の「ゴミ拾い」の姿を直接見たことはないのだけれど、祖父は毎朝、犬を連れて散歩に行く際、ついでに大きなゴミ袋を持って町中の道端に落ちているゴミを拾って歩いていたらしい。それを何年も何年も続け、ある日、地方の新聞に載って表彰された。「よくぞ毎朝何年間も町のゴミを拾ってくれましたね!ありがとう!」ということで。

叔父から父のもとに「おじいちゃんがなぁ~新聞載ったでぇ~」と連絡が入り新聞も送られてきた。小さな善行でも、コツコツ続けていると誰か見てくれている人がいて、こんな風に新聞で褒めたたえて貰えるんだなぁ~と、

一たかがゴミを拾っただけで新聞に載ったおじいちゃん!!

といたく感心した。

終わりに

因みに、後にその家族は今度は祖父がボケて介護される身となった際、そこのお嫁さんが献身的に、それはそれは献身的に血もつながっていない祖父を介護した、ということでまたまた新聞に載った。地方の田舎だからか結構簡単に新聞に載るのかしらん?ゴミを拾ったといっては新聞に載り、ボケて介護されたといっては新聞に載り、祖父はなかなかにネタの提供者であった。

SDGsの話は長くなるので、続きはまた次回に書く。あまり一つ一つを長く書いていると、私の書く気力が「持続可能」ではなくなってしまうので、、、。

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