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【うさぎの自由帳】日記と恩師とMちゃんについて

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本来なら、今回は「きょうだい・きょうだい児の抱える問題」についての記述をするのが順番かもしれないが、今日はお休みだ。なんて言っても、疲れた。

「きょうだい」の話をしていると、私自身、結構疲れてしまうので、出来れば一か月に一度くらい記事がアップ出来ていたら良しとする!位、大らかに待っていて頂けると有難い。

そうそう、だんだんとこの【うさぎの自由帳】も数が増えてきて、ひっちゃかめっちゃかになってきた感がしなくもないが、もう一度おさらいしておくと、この自由帳は大きく2種類に分かれていて、一つは①「きょうだい・きょうだい児の問題について」書く「真面目な?!」ページであり、もう一つは②「うさぴょんの日記」名付けて「未来完了妄想日記」であり、こちらはもう誰に説明するのでもない、私自身が好き勝手書かせて頂く、というまさに「自由帳」の名にふさわしいページである。(これから、この2つが混同しないように、日記の時は、まず冒頭に日記!と書いておくこととしよう、、、出来るだけ、、、)

日記は、高校生の頃は、毎晩ではないが書いていた。

中学生の頃は、友人と交換日記をしており、そうだ、高校生の時も友人と交換日記もしていたから、あっちでこっちで日記を書きまくっていたことになる。(笑)

高校生の時に書いた日記は、あの名作『アンネの日記』を意識して、完全にパクった出だしとなっていた。まぁ、パクったといっても、誰に見せるのでも、ましてや出版するのでもないから、誰に咎められる筋もない、単なる自己陶酔しているに過ぎない16歳の乙女の趣味に過ぎないけれど、、、。

『アンネの日記』は、架空のキティという人物に向けて、アンネの屋根裏での生活の様子を綴って知らせる、という体であったが、私は架空ではなくて、現実にいる友人Mちゃんに宛てるという設定にしていた。Mちゃんは、私の中学時代の親友の女の子だった。だが、Mちゃんは中三に上がる前に、家の都合で遠くに転校していってしまった。私は、とにかくこのMちゃんが好きで、もう女同士なのにおかしいのではないか?!という位に好きで、お陰でおかしい通りにおかしい行動=自分の日記の上で彼女に語りかけるという体裁をとる、という「ちょっと、アレ」な浸り具合まで発動していた。

日記の内容は、学校でこんなことがあった、あんなことがあった、私の夢はこんなだあんなだ、といった高校生の女の子らしいものであったが、日記の最後には大抵「Mちゃん、Mちゃんならどう思うかな?Mちゃんなら、こういう時、どうするかな?ああ、私もMちゃんのようになりたいよ…。」と一方的に熱い想いを書き添えてあり、思い返すと自分の「痛さ」っぷりに頭を抱えたくなる。

高校生以降は、日記を書くというまめな行動をとることはしなくなった。大学で、レポートを書かされることが多く、そこでいかんなく書きたいことを書き綴っていたのが良かったのかもしれないし、あと、国際学生シンポジウムという学生の団体で運営委員をやり、そこでも資料だなんだ、と自由に「書く」場が持てていたからかもしれない…。

書くことは好きだったので、所属していたテニスサークルの新入生歓迎時期になると、誰に頼まれるでもなく、自ら「新入生募集チラシ」の作成に嬉々として取り組み、刷り上げて配った。ただ、残念ながら、私が作成した募集文章によって集まった男子部員は、例年になくちょっと変わっている男子が入ってきてしまい、また人数も少なかった為(それに比べて、女子部員は沢山入部してきたのだけれど)、私は責任を大いに感じて翌年はチラシの「誘い文句」を書くことは控えた。

(ただ、私が書いた年に入部してきた数少ない「まともな」男子部員が、同じくその年に入部した女子部員と付き合い、そして結婚まで至ったことを考えると、私の作成した「新入生募集チラシ」も意義深いものに思えてきて、やり遂げた感を感じる。エッヘン。)

また話が高校生の時に戻るが、書くことが好きで、かつ、「真面目で手の抜けない性格」だった私は、出席番号で順番に回ってくる日直の仕事である「学級日誌」の下段の「今日の一言」といった四角く囲われた欄も、適当に書くことが出来なかった。

上から順に、1限から6限までの教科と授業内容、連絡事項、等を記載した後、自由に記載しろといわんばかりの空欄に向かって、私は何を書こうか、「ミニ作文」のごとく構想まで練って鉛筆で書く前に考えていた。

他の日の男子の日直がその欄を「マラソンたりいぃ~」とか、極めて適当、一言を大きな文字で書いて終わりにしているのを眺めながら、どうしてもそのような私から見ると極めて大胆な、豪放なことは出来なかった。

几帳面にぴっちりと学級日誌の下段であるにも関わらず、極めてプライベートな所感をみっちりと書き込み、少し枠からはみ出てまで書き込み、ふぅ~っと黒い堅い表紙と紐で綴じられた学級日誌を閉じて、日直の仕事をやりきった感で満たされ、満足するのだった。

この学級日誌を、当時の担任の先生が、きっちりとっておいて下さっていた。

高校卒業してから約10年後、私は30の手前で結婚式を挙げていた。その際、恩師である高校の担任の先生に披露宴列席と祝辞のお言葉をお願いさせて頂いていた。

当時の担任の先生は、祝辞の中で、当時、私が書いた学級日誌を持ってきて下さり、なんとその時書いた「今日の一言」欄を読み上げて下さった。それは、自分でも、気合を入れて書いており、とても放課後に日直が学級日誌に書く熱量の文章ではなかったので、よく覚えていた。

担任の先生は、それにしっかり目を通して下さっていて、そして10数年もとっておいて下さり、教え子の披露宴にわざわざ持ってきて下さったのだ。

そういう先生だった。

あまり多くはお話にならない、どちらかと言うと寡黙な先生であったが、いつも穏やかな佇まいをされており、そして一言一言に重みと、そして生徒のことをよく見て下さっている視線がある先生だった。

それから、また時が流れて、約10年後。私が夫の実家に年末帰省している際に、電話が鳴った。その担任の先生が亡くなられた、という訃報を知らせる電話であった。

先生の奥様によると、先生は、亡くなる数日前から、私達かつての教え子達の成績表を整理しなおして下さっていたらしい。その作業をしているこたつで、先生は、眠るように息を引き取られていたそうだ。

先生が毎年年賀状に書いて下さる一言は、なぜそんなに会ってもいないのに分かるのかしら?!と怖くなってしまう程、的確な一言だった。それは私ばかりでなく、年賀状を受け取った他の生徒もみな感じているようだった。長くない、ほんの一言なのに、あんなにも、その時その時の人生の指針となるような言葉を書いて下さった先生は他にいらっしゃらなかった。

私は、ただただ、その先生を敬愛し、そして先生にして頂いたことの僅かでも恩送り出来るように、これからも頑張っていきたいと思っている。

ねぇ、Mちゃん、どう思う?応援してくれるかな?Mちゃん。(笑)

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